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道德经全文日语汉语对照版(3)

发布时间:  浏览: 次  作者:不休和尚
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道德经·第二十一章:从道

道徳経·第二十二章:道から

孔德之容惟道是从。道之为物惟恍惟惚。惚兮恍兮其中有象。恍兮惚兮其中有物。窈兮冥兮其中有精

「穴徳の容」はその通りです。道のことはただぼんやりしている。ぼんやりと似たような象がある。ぼんやりとしたものがある。美しくて冥ってその中に精がある

。其精甚真。其中有信。自古及今,其名不去以阅众甫。吾何以知众甫之状哉!以此。

です。その精は実にすばらしい。その中に手紙がある。昔と今、その名は衆知を読むものではない。私は何を知っているのか。これを。

道德经·第二十二章:抱一

道徳経·第二十二章:抱一

曲则全,枉则直,洼则盈,敝则新少则得,多则惑。是以圣人抱一为天下式。不自见故明;不自是故

曲則は全、無実の場合はまっすぐ、窪は満ちる。聖人をもって天下を目指す。故

彰;不自伐故有功;不自矜故长;夫唯不争,故天下莫能与之争。古之所谓∶曲则全者」岂虚言哉!诚

彰は、自らを伐採しなければ、功があるのではなく、自分にとっては尊いものではない。古之というのは,言叶によって全者であるというのではないか誠

全而归之。

全部で帰る。

道德经·第二十三章:同道

道徳経・第二十三章:同道

希言自然。故飘风不终朝,骤雨不终日。孰为此者?天地。天地尚不能久,而况於人乎?故从事於道

自然に。だから風が吹けず、急に雨が降っていない。そのためのものは?天地。天地はまだ長くはないが,人のせいにしているのか.だから道に従事する

者,同於道。德者同於德。失者同於失。同於道者道亦乐得之;同於德者德亦乐得之;同於失者失於乐得

人は、同じ道にある。徳は同じ徳である。失者は同じである。道者道も楽になり、徳は徳も楽し、失者は楽になった

之信不足焉有不信焉。

この手紙が足りず、無信である。

道德经·第二十四章:不处

道徳経

企者不立;跨者不行。自见者不明;自是者不彰。自伐者无功;自矜者不长。其在道也曰∶馀食赘形

企業は立ちません。自見者は不明である。自伐者には功がない。それは道也曰:余食邪魔形

。物或恶之,故有道者不处。

です。物も悪も、道者がいない。

道德经·第二十五章:混成

道徳経·第25章:混成

有物混成先天地生。寂兮寥兮独立不改,周行而不殆,可以为天下母。吾不知其名,强字之曰道。强

有物が先天的に生まれた。ひっそりとして独立して改めようとしないで、周行は危なくて、天下の母になることができます。その名、強い字の曰本。強い

为之名曰大。大曰逝,逝曰远,远曰反。故道大、天大、地大、人亦大。域中有大,而人居其一焉。人法

その名が大きい。大の曰は過ぎ去って、逝くのは遠くて、遠くて反対だ。この道は大きくて、天が大きくて、大きくて、人も大きいです。域には大きいが、人はその上にある。人法

地,地法天,天法道,道法自然。

地、地法天、天法道、道法の自然。

道德经·第二十六章:轻重

道徳経・第二十六章:軽重

重为轻根,静为躁君。是以君子终日行不离轻重。虽有荣观燕处超然。奈何万乘之主而以身轻天下。

軽根として、静は焦り君。君子として一日一日も手を離さない。栄観があるところは超然としている。万乗の主をどうやって身をもって天下を軽くするのか。

轻则失根,躁则失君。

軽いのは根を失って、焦りは君を失う。

道德经·第二十七章:袭明

道徳経

善行无辙迹。善言无瑕谪。善数不用筹策。善闭无关楗而不可开。善结无绳约而不可解。是以圣人常

善行には不備がある。善言はない。善数は計画的ではない。善を閉じることはない。善は結び目がないから解らない。聖人の常である

善救人,故无弃人。常善救物,故无弃物。是谓袭明。故善人者不善人之师。不善人者善人之资。不贵其

人を救い、人を捨てることはない。常善助け物、だから捨て物はない。明明という。故に善人者は善人の師である。善人の善人の資高くない

师、不爱其资,虽智大迷,是谓要妙。

師が、その資を愛していないのは、智大ファンであっても、要は妙である。

道德经·第二十八章:常德

道徳経・第二十八章:常徳

知其雄,守其雌,为天下溪。为天下溪,常德不离,复归於婴儿。知其白,守其黑,为天下式。为天

その雄を知って、その雌を守り、天下の渓にする。天下の渓のために、常徳は離れず、赤ん坊に戻った。その白を知って、その黒を守り、天下式に。天のために

下式,常德不忒,复归於无极。知其荣,守其辱,为天下谷。为天下谷,常德乃足,复归於朴。朴散则为

式は、常徳不順で、復帰は極極である。その栄を知って、その辱めを守り、天下の谷になる。天下の谷として、常徳は十分である。素朴なものは

器,圣人用之则为官长。故大制不割。

器、聖人用は官長である。だから大制は切らない。

道德经·第二十九章:自然

道徳経・第二十九章:自然

将欲取天下而为之,吾见其不得已。天下神器,不可为也,为者败之,执者失之。夫物或行或随、或

天下を取るためには、それはやむをえない。天下の神器は、そのためにも負けてはならない。夫は物も行か、あるいは、または、または

觑或吹、或强或羸、或挫或隳。是以圣人去甚、去奢、去泰。

吹くか吹くか、あるいは強かったか、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは聖人として行って、豪奢に行って、泰に行く。

道德经·第三十章:不道

道徳経

以道佐人主者,不以兵强天下。其事好还。师之所处荆棘生焉。军之後必有凶年。善有果而已,不敢

道佐人の主な者は、兵をもって天下を強くしない。その事はよい。師の所は茨の生である。軍の後は必ず凶年がある。実があるにすぎない

以取强。果而勿矜。果而勿伐。果而勿骄。果而不得已。果而勿强。物壮则老,是谓不道,不道早已。

取り強にする。気になってはいけない。果物を伐るな。その結果、おごってはいけない。結果はやむをえない。果物は強くない。立派なものは老けば老けている。

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